3分で分かるビルゲイツ!いったい彼の何がすごかったのか!?マイクロソフト共同創業者ポールアレンとの出会い、コンピューターとの出会い
どうも皆さんこんにちはあすです。
今回は3分でわかる偉人伝ビルゲイツ編と言うことでお送りしたいと思います。
彼のことを普通に紹介するのならなら世界一のお金持ちであり、Microsoft社の共同創業者と言う紹介になるでしょう。
しかし今回は彼の半生を紹介し、私たちが学べるものは何なのかということを紹介していきたいと思います。
一言でいうのなら大きな仮説を持ちその仮説を証明するために奮闘した人物です。それでは動画をどうぞ!
1955年彼はアメリカシアトルで誕生しました。
ゲイツ家は父親は弁護士母親は元中学校教師と知的で裕福な家庭でした。小さい頃からたくさんの本を読んでいたゲイツはとても利口な少年でIQは160だったとも言われています。
小学校卒業するとシアトルを代表する名門私立校のレイクサイド校に入学します。ここで彼は人生を一変させる2つの出会いを果たします。
1つ目はコンピューターとの出会いでした。レイクサイドは1968年からコンピューター教育を導入したかなり先進的な学校だったのです。
彼は誰にも負けない情熱をコンピューターに注ぎました。そんな中で出会ったのが二個上の先輩ポールアレンでした。彼とのちにマイクロソフトを創業します。
同じような考えを持つ彼らは意気投合し、すぐに仲良くなっていきました。そしてビルゲイツは中学1年生の時にはポールアレンに「起業する」と語っていたそうです。
コンピューターに魅せられたビルゲイツの仮説が確信に変わったのは、高校三年生の時でした。
やがて一家に1台、パソコンが当たり前になる時代がくる。このような仮説を立てた人は当時少なくありませんでした。
しかし、ビルゲイツの立てた仮説が他の人たちにはなかった点は、そうなった時に、ハードではなくソフトが重要になっているはずだと仮説した事でした。
彼は他の人より2・3手先の未来を予測したのです。やがて一家に1台のパソコンが当たり前になったら、世界中の大企業はこぞってパソコンを作るだろう。
しかし、そこで争っても私は大企業に負けてしまう。だったらすべてのパソコンで使われるようなソフトを作ればいいっていうのが彼の仮説でした。
ブルーオーシャン戦略、彼はソフトと言う空白地帯に旗を立てたのでした。
結果としてこの仮説は大当たりしました。
アップルとコンピューター業界で二大巨頭であったIBMという会社がソフトの開発を外部に求めた時に、このチャンスを逃すわけにはいかないと名乗りをあげたのがビルゲイツでした。
そしてゲイツはそれをやってのけました。
1981年IBMはIBM PCと言う同社初の個人用コンピュータを発売しました。年間目標を10,000数千台としていたIBM PCは最初の2年間で1,000,000台を超える大ヒット商品となるほど、世界を席巻しました。
もちろんこのパソコンに入っていた基本ソフトはMicrosoft 社製のものでした。
IBMやその他のパソコンメーカーがどんなに優れたパソコンを作ってもそこに、windowsが入ってないと動かない、またwindowsが入ってないパソコンなんて誰も買ってくれない。そんな状況を作ったのがビルゲイツでした。
彼は1台のパソコンも作ることなく、ビル・ゲイツはパソコン業界を制してしまったのです。
一家に1台、パソコンが普及する時代が来ると言う未来を見て、さらにその上に未来を制するための仮説をたてました。
彼は未来を制する仮説をソフトウェアに見出したのです。彼の名付けたMicrosoftと言う社名には彼の仮説の全てが詰まっているんです。
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